Booksmart (ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー)を観て来ました

🗂 Hobby

ちらほら、ブックマートを観たという文字を目にしまして日曜日の夜に衝動的に席を予約して、月曜日のモーニングショーでブックマートを見に行きました。

上映される映画館のホールに入ったら、暗くて「あれ、もしかしてひとり?」と思ったのですがよく目を凝らすと10人ほどいました。

僕は何でも前情報を聞くとバイアスがかかるので、何も知らない状態で基本的に観ます。

観てる最中の感想としては、序盤はHipHopが結構かかってどんどん移り変わっていくなって感じでした。

ちょっと緩急ほしいなと思ったりもした。あと、女子の下ネタってこんなにキツイの?って思ったりした。誇張されてるのはわかっているけど、結構笑えるくらい直接的だった。

僕は、最近映画をちゃんとみるようになった身で、観終わった感想としては個人的にはあまり楽しめなかったなと思いました。

そのあとに、以前から気になってた宇多丸さんの批評をpodcastで聞きました。

感想としては、とても悔しくなりました。

僕は、アメリカのハイスクール映画、ドラマを一切観てこなかったのであまり文脈がわかっていませんでした。どうやら、文脈を踏まえるときちんと今の時代背景(ダイバーシティ、同性愛)に則ってよくアップデートされてる映画だったようです。

なんか、率直な意見としては、こう同性愛をまだ無理に描いて得る感があるなといつも感じるんですよね。僕からすると、逆に冷めるというか露骨に感じるというか。でも、これは多分大きな一歩で、これから溶け込んでいくゆくものだと思ってます。

中でも、「うわーなるほど、悔しい~」となったのは、映画全体を通しての監督のメッセージ性を汲み取れなかったことです。まず最低2回以上観てから言えって思いますが。

なんか、僕は学園モノをはじめてみたのでこれはこういうものなのかという認識でいました。

でも、アトロクでも言及されているオリヴィア・ワイルド監督のインタビュー記事をみると一気に素晴らしい作品だったなと思いました。

──『ブックスマート』の新しさは、あらゆるものが当たり前に存在する感覚が全体を貫いていることだと思います。象徴的なジェンダー・ニュートラルなトイレの場面でも悪役は登場しませんが、悪質なホモフォビアやファットフォビアを映画から除外することは意識していましたか?

「そういった冷酷さを取り除くということは、毎日自分に言い聞かせてきたことでもありました。悪役を登場させ続ければ、観客はどんな物語にも悪人がいるんだと思い込んでしまう。そうすると、人生においても絶対どこかに悪人がいると考えてしまうと思います。初めて観る人は本作でも、誰が悪人なんだろうと探しているんですよね。それが興味深いです。モリーが経験するのと同様に、トイレのシーンでも誰かが意地悪なんじゃないか、だから自分を守らなきゃいけないみたいに思ってしまうかもしれないけど、みんなそれぞれ自分の人生を生きるのに必死で、彼女に対抗する敵はいないのです。なので、もう少しみんなリラックスして、自分を他から守らなきゃいけないという気持ちを緩めることができれば、いろんなチャンスが生まれてくると思います」
「描く上で避けたかったのは、漫画的な悪人を映画的デバイスとして使うことでした。そうではなく、あえて観客にこの人は悪人かもしれないと思わせておき、そこから捻りを加えるような作り方でした。(モリーが好意を寄せる)ニックも彼のような立ち位置だと意地悪な男の子という風に描かれがちだけど、決して彼女を失恋させたいと思っていたわけではなく、ただ優しかっただけですよね。でも人というのはすぐに、この人はこういうアイデンティティなんだと決めたがってしまう。そうすることで、自分の経験により秩序を持たせることができるから。かつて自分が失恋した男の子のことを振り返ってみても、ただタイミングや相手が違っただけで、別に悪気があったわけでも悪い人だったわけでもないですよね(笑)。だから、どんな状況でもこの人は自分の悪役なんじゃないかって探す癖を私たちはそもそもなくさないといけないのです」

──本作はこれまでの青春映画のようにヴァージンの卒業や人気を得ることをプロットの中心には据えていませんが、ステレオタイプの解体、若者が他者をどのように知覚するかを主題に考えていましたか?

「その通りです。どんな風に若い人が他者を見るか考えたときに、やはりステレオタイプのことを考慮しなければいけない。思春期に入る頃には、すでにステレオタイプというものをある程度自分の中で形作ってしまっている人も多いと思います。例えば、学園ヒエラルキーがあって、その中で自分の居場所を見つけなければいけないんだという風に。その考えは、自分がここに属さなきゃいけない、仲間はずれになってはいけないという恐怖心から来ていることが多いですよね。それってとても人間的なことだし、動物的な本能だと思うけど、私が焦点を当てたかったのは、そういった思い込みをすべて取り除いた後に何が発見できるのかということでした。なので、ステレオタイプというものを避けるというよりも、ある意味わざと利用して、それをひねるという意識があったのです」

これを読むと、たしかに劇中に悪役はだれひとり存在しなかったし、我々の現実世界にも悪役というものは存在しないのに、ただタイミングだったりそのときの気分だったり、そう見なしたほうがわかりやすいから、悪役というものを設定しているだなと内省しました。

この考え方ってすごく大事だなと思いました。(シンプル)

なんか半沢直樹とかは真逆だよなとかも思ったり。

もう一度みたいかも?

本当に勉強不足だな~。出費が痛いけどパンフレットとかも買おう!

でも、最近映画とかなんでも意識して批評的にみるようになって人生が楽しいです。楽しいというより、豊かって感じかな。速いスピード、サイクルで感覚的におもしろいものをみるというのから離れるとすごい楽だなと思ったり。

まとまらないけど、まとめるつもりもないので以上。風呂に入ります。

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