頭がいっぱいで破裂しそう

🗓 July 07, 2020
🗂 Thought

あ〜頭が破裂しそうだ。結構物理的に感じる。

今も、「あぁ、あぁ」と口から出ている。苦しいのだが、そこに感情的な苦しさはない。

原因を辿るのは容易である。活字を取り込みすぎた。なんというか、アニメ版物語シリーズのように、文字が物体として、頭のなかに詰め込まれてるようだ。

ここ一週間、いろいろ、自分の中で変化があって、暇すらありゃ活字を取り込んでいた。それが、オンラインの記事にせよ、ブログにせよ、英語字幕にせよ、紙の本にせよ。

爆発しそうだ。

だから、なんとか爆発しないように無心で文字を脳という何次元かわからないところ活字から取り出して、画面上のスクリーンに寝っ転がりながら、二次元に落とし込んでいる。一種の安堵感を覚えるとともに、楽になる。

何を読んでいたかは言わない。

自分を読んでいるものや、見ているもの、しているものを口に出すと、それで満足してします。そこに満足感はないのだが。

だから、取り入れたものをうまく自分の中で反芻して、整理して、自分の言葉にできるまでは言わない。

ただいま、非常に圧迫感を感じるのだが、実は幸福感も感じている。

幸福感が何を指すかは、その人次第であると思うが、自分の中で、これは幸福感だなと認識しているモノがある。

それは、何かを学んだり、考えたりしたあとに、(過度にと言った方が良いかも)頭がほわーとなる現象である。これは、本当に幸福感であり、満足感である。

問題を解いた後の、ドーパミンが出る様子とは違う。

詰め込んで、パンパンで、ある意味、腹が満たされてるような感覚だ。

今は、その限界に近いくらいだ。限界は言いすぎたかもしれない。しかし、今までの中では最上級である。

近年のSNSなどに見られる、一種の中毒性のようなものは、何かをして、そして小さな陳腐な幸福感(幸福感というより、なんだろう、リターン?)を得るというループを高速化することで起きているようなものだと思う。

これは、最終的に麻痺のようなものを生み、それに気づいたときには、悲壮感が漂う。そして、そこから抜け出すことは現代において、甚だ難しい。

多大な時間と、ときには労力をかけて、得られる幸福感というものは、現代において、貴重というか、ほとんど忘れ去れてしまっている。

結果として、個々の人類が幸せ(a sense of well-being) を感じるならば、良いのだけれど(それ以上干渉する必要がない)、現状は違うだろう。

皆が疲れ、そしてその解決策をSNSを用いた手段に委ねる。これは、不味いものである。

しばし、その包括的な解決策を考える。

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