テレビで安易にクイズ番組をやることへの危惧

🗂 Thought

どうも立花です。

疲れているの文章崩壊しております。直そうという気になったら直します。

ここ1年くらい思っていることがありまして。

それは、テレビでクイズ番組を放映することについてです。

日頃ゴールデンタイムにテレビを見ている人、また見ない人も番組欄を見ればわかると思いますが、クイズ番組がとても多くなってます。

理由を考えてみると、それはかなり単純だと思います。

  • 嫌いな人がほぼいない。お笑いや旅番組といった特に好き嫌いが分かれるものではない。
  • 答えが気になる。家族で一緒に見ていた場合、そこに会話が生まれたりして見続ける要因になる。
  • 見ててすごいなと思う。

総じて言うと、健全に視聴率が取れるからです。民放は企業からお金をもらってやっているので今更そこをどうこう言うつもりはありません。

ただ、テレビというマスメディアが及ぼす影響はいまだに大きいと思います。特に言いたいのは10代などこれからの生き方が定まってない層に対する影響です。

私はスポーツとしてのクイズ競技を批判するつもりはありませんが、クイズ、言い換えれば知識勝負というのはサッカーや野球などに比べて身近でコストが低く、身体能力に依存するものでもありません。

スポーツとしてのクイズの中では、膨大な知識量を持っている人が一番強いというのは当然です。

しかし、それをテレビで毎週のように、いやほぼ毎日のように放映することで社会の中で膨大な知識量を持っている人がすごい、発展すると東大生がすごいみたいなのがこれからの進路を決める10代にそう思わせてしまうのではないかと思うのです。

それは、社会における1つの指標でしかないのです。皆がそれを共有してしまうのは、これからのデジタルネイチャーに適応していく上で大きな妨げになると思います。「シンニホン」に記されているように、特に日本は少子高齢社会で、AI,ロボティクスを使い倒す方便でしか生き残る道はないように思えます。

自分が生きていく上での指標というのは1人1人違うものであるべきだと思います。というかそれが自然だと思います。

お金もそうです。本来、お金は一つの指標でしかないので、特に労働生産性、実質賃金が低い日本社会では大きな指標になっていると思います。恋人、友達との時間、ボードゲームに熱中しているとき、アート作品を残すなど1人1人によって幸福の定義が違います。なのに、お金の優先順位が上がってしまい、他が後回しになってしまっています。それは国の幸福度を見れば日本の幸福度が低いことはわかるでしょう。

だから、お金以外の指標を持ってもらうため最低限のお金を保証するBIの考え方に賛成です。方法はどうであれ日本の経済を抜本的に変える使命感を感じます。お金で解決できることはお金で解決するのが良いのです。なので経済の道にいくことにしました。

確かに一人一人が見たいものを見るようになり、10代のテレビ視聴時間は確かにYouTube,NetFlixなどのネットメディアによって減っています。なので、別に数が減っているのでいいだろうと思う人がいるかもしれませんが、といってもいまだに見てる人がいるので述べておきたいと思いました。

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